論語と尚古 *論語に学び古文を尊ぶ 【第2回】経営と人生はピンチの時こそ大事

土屋ホーム創業者・土屋ホールディングス会長 土屋 公三 氏


■地道に支店を…と後悔


1976年に「丸三土屋建設」を設立し、住宅業界へ本格参入。82年に土屋ホームに社名を変更。84年には、自社で建設した省エネモデル住宅「ザ・サッポロ」が全国省エネルギー住宅コンクールで第一位の建設大臣賞を受賞。これが大きな評判となり、土屋ホームは、道内トップクラスの住宅メーカーとして知れ渡る存在になった。

会社設立から売り上げは伸び続け、初年度3億円が4年目で30億円。その後、設立から8年で100億円を達成。順調に業績を伸ばしてきた土屋ホーム。「土屋」の名を看板に、全国で住宅関連事業への参入希望者を募り、フランチャイズチェーンや合弁会社設立などの全国展開を図った。しかし、順風満帆な事業ばかりではなかった。

―8年で100億円になって、売り上げでは北海道ではトップか、と言われました。86年頃に、全国規模のセミナーを開催し、1000人を前に講演したことがありました。その時に600枚ほど名刺が集まり、その中から土屋のフランチャイズに入りたいという人が何人もいました。うちが出資する合弁会社の他に、経営指導するフランチャイズを創ろうと、図面からマニュアルまで、システムをいっぱい作って、全国で一気に100ヵ所以上も立ち上げたんです。

―ところが、温暖で湿気が多い本州では高断熱高気密の住宅の普及が進まなかった。資本や信用だけでなく、人生観や経営観が合致しない企業もあり、相手をよく知らずに拡大路線を取ったことが良くなかった。あれが大失敗。撤退を決めました。

―その時に、フランチャイズや合弁ではなく、小さくても支店をコツコツと創れば良かったと思いました。バブル崩壊前の一番良い時期だったから、もう少し何とかなったのではないかと思います。

■住宅はボリューム産業


「これまでの最大のミステークは全国にフランチャイズを出して失敗したこと」と土屋会長。

その後、土屋ホーム東北を残して、他の地域では会社を整理することに。この経験で「世の中、そう甘くはないことを学んだ」と振り返る。

―もうひとつ、「ホームトピア」の増改築を大々的にやって上場させることだったが、これも叶いませんでした。ただ、土屋ホームが良かったのは、失敗して本州から戻ってきてもつぶれないでいること。自己資本比率60%台で、借金無で生き残っている。経営は良い時と悪い時があるから、失敗しても生き残ることが肝心。経営と人生はピンチの時にどうするかが一番大事なんです。

いま、会社の将来について考えていることは?

―最近は人手不足で、後継者のいない工務店などがあるでしょう。技術者がいて実績がある会社があればM&Aなどの選択肢もあるのでは、と思っています。今後、新築の市場は全国で年間50万戸、現在の半分になる。つまり半分以上はつぶれるということ。一番良かった時の193万戸からは4分の1ですからね。

―会社が生き残れるかどうかは、自己資本比率。うちは日本中の住宅会社何万社かの中で、自己資本比率ではベスト2です。自己資本比率だけならですよ(笑)。それだけの安定財務だからつぶれない。

―昔、住宅の新築市場規模は20兆円と言われていました。仮に50万戸建って、1戸2000万円としても10兆円。増改築は7兆円と言われているが、不動産流通が10兆円として住宅産業全部を合計すると約30兆円弱。こういう産業はそうないわけです。成長産業ではないが、ボリューム産業ではある。住宅産業は捨てたものではないと思う。そのためには人材の確保、そして技術の問題があります。

―会社の運営についても、私のできなかったことを次の代が成し遂げてくれればという思いもありますが、拡大よりも社内、社員に待遇などの面でより良くして安定経営を維持する方がベストなのかもかもしれません